「すべてが完璧」ということを、思考で考えてはいけない!

独り言

↓前回の記事

前回の記事の続きです。

前回は、何が起こっても、何があってもそれは完璧な道であり、最適な道に沿っているというお話をしました。

「すべては完璧」ということですね。

ですが、その「すべては完璧」だと気づいた3、4時間後には、こう考えてしまうんです。

「すべてが完璧なら、生きている意味なくない?」と。

病気になっても完璧であり、何があっても完璧なら、なにがあってもそれは完璧であり、生きる目的がなくなってしまわない?と、考えてしまうのです。

そうやってその思考がグルグルしてしまい、挙句には少し鬱っぽくなってしまうのです。

全ては完璧だと思うのは悪いことなのかと今まで思ってましたが、さっき思いつきました。

「すべては完璧」だということを「思考する」からだめなんだ、と。

どういうことか説明しますね。

普通、脳で考えていたら、全ては完璧だということは思いつきません。

エゴの自分でいたら、小さい視野でしか世界を見れないので、「うわ、最悪や・・・」「うーわ、運悪すぎやろ」と思ってしまうからです。

感覚という、大いなる自分に憑依するからこそ、大きい視界で「すべては完璧」だと思えるわけです。

では、その大いなる自分の考えを、小さい視野でしか見れないエゴの自分で考えたらどうなってしまうでしょうか?

結論は、上で書いた通り、狭い視野でしか見れないので、「生きる目的なくない?」となって、お先真っ暗になってしまうのです。

ですが、その「すべてが完璧」だということを、「また感覚で感じてみたら」どうでしょう?

思考ではなく、感覚で感じるのです。

少なくとも自分は、全くすべては完璧だということに違和感を感じませんでした。

今まで大いなる自分の考えを、視野の狭いエゴの自分で考えるから、鬱っぽくなってしまっていたんだなって、思ったのです。

なので、全ては完璧だということは、感覚で感じるのがベストというわけですね!

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