心の中の太陽

独り言

「心の中の太陽」
そんな言葉がさっき急に浮かんできたので、とりあえず書き留めておく。

今日は、冬休みである。
自分は高校生なので宿題はあるが、暇、退屈である。
やりたいこともない。
(色々検索してみたけど、意外と高校生になってゲームとか興味なくなる人も多いみたいね。)

だから、「鬱っぽくなってしまった」のである。
外には出たいけれど、出たいという感覚ではない。
なので、ベランダに出ることにした。
するとなんということでしょう、太陽が私を祝福してくれているではありませんか。

というのは冗談で、太陽に当たると、今までの悩みとかどうでもよくなるくらい、ものすごく精神が回復するんですよね。
言語化が難しいですが、太陽に当たり、風を感じると、疲れが吹っ飛び、リラックスすることができるんです。

「心の中の太陽」ということですが、自分は昼、太陽が出ているときには普通に元気で、太陽が沈むと鬱っぽくなるという性質を持っています。(たまにだけれど)
夜になると、気分が沈むんですよね・・・

それと、一度鬱っぽくなったら、未来も過去も想像も何もかも最悪になるじゃないですか?
「誰か部屋にいるかも・・・」「いつ地震が来るかもわからないのに・・・」「死がこわい・・・」
などと、「フィルターがかかってしまう」のです。(そして食欲もなくなり、気持ち悪くなる)
ですが、太陽に当たると「あぁ・・・すべては完璧だ・・・」と、今までの悩みがどうでもなくなります。

ですが、鬱っぽくならないときは、全っっっっっったくそんな悩みがわかないんですよ。
それを、自分は「心の中に太陽がいる状態」だとついさっき思ったんです。

心の中に太陽がいて、心(自分自身)を照らしてくれているときは全く鬱っぽくもならないし、「すべては完璧だ」と人生を享受できる。
だけれど、一度鬱っぽくなってフィルターがかかり、心の中の太陽の光が雲のように邪魔されてしまえば、もう最悪。
人生どん底のように思える時間の始まりです。

恐らく、心の中の太陽は、ずっといると思うんですよね。
太陽が消えて鬱っぽくなるのではなく、太陽が雲のように隠されてしまい、正解がどれかわからなくなり、鬱っぽくなるのかと。

その雲、結構エゴ、左脳に似てるんすよね。
思考によってフィルターがかかって、太陽の光に気づけなくなる。
本当はずっと私たちの心を照らしてくれているのに。

まぁ、鬱っぽくなってしまったときは一度深呼吸して心の中の太陽がフィルターによって隠されているんだと自覚し、フィルターを除くことが大切ですね!
そのフィルターを除くためには、息を吐いてフィルターを粉々にしてその粉を吐き、息を吸って外の新鮮な空気を吸うというイメージでやれば上手く除けるのかな?

まぁ、心の中の太陽という単語が急に浮かんできたので書いた次第でございます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました